1854年(嘉永7)ロシア軍艦の大坂湾への来航事件で狼狽した幕府は、1863年(文久3)川路聖謨の上申を入れて摂海防備計画をまとめ、砲台の築造に踏み切った。尼崎藩でも独自に今福村・初島新田(南初島町)・大高洲新田・未〔ひつじ〕新田・丸島新田(武庫川尻丸島町)の5か所に砲台が築かれることとなった。また、この砲台にすえる大砲の鋳造を進めるために、鋳造場所の広小路(現東桜木町)において祈祷がおこなわれた。しかし、砲台の規模その他の詳細については不明である。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 領主・支配(近世)