社会事業

しゃかいじぎょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  第1次大戦後の不況のなかでの低所得層の増大に対応して、住宅・医療・消費・金融・職業などの諸分野にわたって生活保障制度が公的な施策として整備されていった。これらを総称して社会事業という。尼崎市では1920年(大正9)社会事業調査委員を任命して諸種の施策を実施した。米騒動の直後に設置された市設物品販売所が1920年に改築されて公設市場に発展して生活物資の廉売を行なった。また同年から1924年にかけて東難波市設住宅116戸を建設し一般より安い家賃で提供した。1922年8月市役所の一部に市立尼崎診療所(通称実費診療所)が開設され受診は国税の非納付者、家賃月額30円未満のものに限られた。1920年11月市立職業紹介所が市役所裏に開設され無料で紹介が行なわれた。1923年には困窮者にたいする更生資金貸付、金品の施与を取り扱う方面委員が設置され、また1927年(昭和2)には窮民救助規程が制定された。さらに昭和恐慌下の市民生活の窮乏化のなかで社会事業はいっそう拡充された。1930年7月中在家町に70人を収容できる簡易宿泊所(1泊20銭)と簡易食堂を兼ねた市民館が建設され、1932年5月には職業紹介所に隣接して公益質舗が開設された。小田村合併後の1938年6月杭瀬にも市営質舗が開設された。また小田村では合併前開業医12人に属託して委託診療所をもっていたが、合併後市立委託診療所となった。女性勤労者のための託児所は尼崎婦人会の奉仕事業として1921年から旧城内に開設されていたが、1931年町役場跡に新築移転して尼崎東愛育園となり、さらに市営住宅内に西愛育園が開設された。翌年2月にはやはり市営住宅内に尼崎養老院が開設された。日中戦争後は市営住宅・公益質舗・診療所の増設、産婦院・乳幼児育児所などが新設され、1937年度には20人の開眼手術を市費で実施した。なお以上にような公的施策ではなく、たとえば1900年(明治33)設立の琴浦育児院、上記の尼崎婦人会の託児所、1937年開設のちゝのき園、1939年開設の梅ノ花保育園・尼崎育児園などの私立の託児所も広義の社会事業といってもよい。

執筆者: 山崎隆三

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