社会大衆党

しゃかいたいしゅうとう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1932年(昭和7)7月24日、社会民衆党全国労農大衆党が合体し、国家社会主義派を排除して発足(委員長阿部磯雄、書記長麻生久)。反共・反ファッショを標傍した。尼崎では9月に両党が合同、尼崎支部(支部長平沼晃=社民党、書記長福島玄=労大党)を結成した。同年10月現在の支持勢力は7労組997人、党員数679人。国際平和・農村窮乏打破・軍需インフレ反対運動を進めたが、戦時色が深まるにつれて階級政党から国民政党へと路線を転換、1937年の日中戦争に際して主流派は支持を表明、綱領を改定して産業報国会運動を推進した。この間、同党尼崎市議の山下栄二・福島玄は社会福祉施設新増設の提言などの活動を行なった。1940年斎藤隆夫代議士の反軍演説をめぐる除名問題で分裂、被除名者は国民勤労党結成を目指したが禁止された。同年7月新体制運動便乗を理由に他党に先駆けて解党した。

執筆者: 久保在久

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