神崎川
かんざきがわ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
旧名三国川〔みくにがわ〕は、「続日本紀」延暦4年(785)正月14日の条に「摂津国の神下〔かみしも〕・梓江〔あずさえ〕・鰺生野〔あじふの〕の地を開削して三国川に通させた」とあるのが、この川名の初出である。これは恐らく既存の安威川〔あいがわ〕の下流と淀川の下流を結合させたものであろう。現在は安威川というが、古くは三国川と呼ばれていたに違いない。しかしこの連結によって京都から西海への船の往来が極めて便利となり、淀川との分岐点、すなわち神崎川の入口にある江口と神崎川から西海に出る河尻の神崎・蟹島が地の利を得て繁栄した。淀川を上下する船舶は必ずと言ってよい程この二つの港に寄港した。「土佐日記」にその名が見え、「遊女記」には港の繁栄ぶりが詳細に描かれている。今も神崎には江戸時代の銘のある遊女塚の石塔が残っている。中世以降は土砂の堆積で河港は杭瀬、大物、尼崎へと変遷した。淀川からの分岐点より海まで13.75km、うち市域部分は2.45km、1965年(昭和40)3月に1級河川に指定された。