近世まで寺町にあった時宗・京都金蓮寺〔こんれんじ〕末の寺院。山号青龍山。『尼崎志』は『摂陽群談』を引いて正慶年間(1332~1334)西一比丘尼〔びくに〕の開基としており、市域の時宗寺院として伝えられるなかでは開基年代がもっとも古い。善通寺西隣の共同墓地の位置が故地とされており、当初は中世尼崎または大物に建立され、近世尼崎城築城にともない元和年間(1615~1624)に寺町に移転したと考えられる。同寺は南北朝時代の南朝方武士・秦武文の菩提を弔うため建立されたという伝説があり、元は海岸寺にあったという武文の墓石が善通寺境内に現存しているが、これは伝承によって後年つくられたものであろう。
執筆者: 地域研究史料館