秩禄処分
ちつろくしょぶん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
廃藩置県以後の政府の財政支出の約3分の1を占めた華・士族の封禄はそのまま放置できない重大な財政問題であった。それについては政府内部にも種々の見解が対立していたが、秩禄処分の第一歩として1872年(明治5)正月の族籍整理によって秩禄受給対象者を削減したのち、翌年12月家禄奉還の措置により希望者にたいして現金および秩禄公債をもって買い上げた。これによって全国で約4分の1の秩禄を解消した。このとき尼崎藩では約3分の2の藩士がこれに応じて世襲の家禄を失った。さらに最後的に秩禄の解消を図るために、1875年9月家禄の石高を過去3年間の石代値段の平均値をもって金額に換算(金禄)した上で、1876年8月すべての家禄受給者にたいして強制的に金禄相当額面の金禄公債を交付した。こうして封建時代の武士の世襲の封禄は政府公債(一部は現金)によっていわば買い上げられることで解消した。秩禄公債の発行は約1,660万円、金禄公債は約1億7,400万円の巨額に達したが、その後の経済的発展のなかで日露戦争後の1906年にはすべて償還された。