立花村
たちばなむら
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1889年(明治22)4月の町村制施行によって、当時の三反田組戸長役場管轄区域(上之島・栗山・大西・三反田・尾浜・七松・水堂の7か村)、東難波組の西半部(西難波・東難波の2か村)、南野組の一部(塚口・東富松の2か村)の11か村が合併して立花村となった。人口5,080人(1889年末)、村役場は栗山村に新設された。1916年(大正5)東難波・西難波両地区は立花村から分離して尼崎町と合併し、尼崎市となった。その後東海道線電化にともない1934年(昭和9)立花駅が設置され、その南北の広大な地域に区画整理が実施された。また同年阪急電鉄も塚口駅周辺に住宅地を開発し、ともに阪神間のベットタウンとして発展した。また森永製菓塚口工場・郡是製糸塚口絹製品工場などの工場化もすすみ、1942年2月11日の尼崎市との合併のさいには人口3万2,731人となっていた。
参考文献
- 『立花志稿』 1940