細川尹賢
ほそかわただかた
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
? - 1531年(享禄4)7月24日
戦国時代の武将。細川高国の従兄弟。1508年(永正5)高国政権の成立と共に細川政賢の跡を襲って摂津国欠郡の分郡守護となった。高国に重用され、欠郡支配のほか尼崎城(大物〔だいもつ〕城か)代の地位も任されたが、1526年(大永6)同城の修築中、尹賢の人夫と丹波の土豪香西元盛の人夫が「土一簣〔いっき〕」のことで喧嘩し、そのために尹賢は元盛を憎悪の余り高国へ讒訴〔ざんそ〕した。同年7月高国は元盛を誅殺したが、元盛と兄弟に当たる柳本賢治・波多野稙通らは高国から離反し、尹賢は京軍を率いて丹波神尾寺城を攻めたが敗北、翌年桂川の合戦で高国政権は崩壊した。その後の動静は不明だが、大物崩れでは高国に従軍していたらしく、1531年(享禄4)7月、摂津渡辺(現大阪市)で木次長政に殺された。