総評(戦前)
そうひょう(せんぜん)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
新労農党が解体の危機に瀕した1930年(昭和5)末、同党支持組合によって日本労働組合総評議会結成準備会が結成され、1931年4月18・19日の準備会が創立大会となった(委員長安島高行、約30組合、2,500人)。尼崎では日本エレベーター(神崎・147人)に組合組織を持ち、同工場の全労組織との共闘で1932年2月昇給をかちとる等の成果を上げた。3月会社が活動家を指名解雇したため争議となり、29日調停案を拒否した争議団は警察の弾圧を避けて全員姿を消し、大阪医大病院での総評系活動家による煙突男も登場するなど話題を呼んだ。1933年全労統一会議派と手を結び我が国合法左翼運動の中心勢力となり、反ファッショ運動を展開した。1934年日本労働組合全国評議会(全評)に合流した。