総評尼崎地方評議会

そうひょうあまがさきちほうひょうぎかい
総評(戦後)より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1952年(昭和27)10月、兵庫県下で最初に結成された総評地域組織。1950年7月中央で日本労働組合総評議会が発足したのを受けて、兵庫県あるいは尼崎でも地評結成の機運が高まった。同年末には、総同盟尼崎地方協議会の呼びかけで、労働組合の戦線統一が試みられたが、総同盟内部の左右対立の結果、1951年3月以降中断した。1951年11月、改めて尼崎全労協の呼びかけで、尼崎地区全労働組合懇談会が結成され、尼崎における労働戦線統一への第一歩が踏み出された。そして、1952年10月16日尼全労協を母体に、日本労働組合総評議会尼崎地方評議会(尼崎地評)が結成され、議長には山本寅雄(尼鋼)が就任した。その結成と共に全労協は解散し、地評は全金属尼鋼など9分会(旧尼全労協)・塩野義労組など16組合、オブザーバーとして23組合の参加を得て発足した。およそ1年後、私鉄各労組・国鉄労組・電産労組および尼崎地評を中心にして、兵庫県総評が結成された。

  地評は1952年以降の大同鋼板争議や、1953年には「地域ぐるみ闘争」を展開して尼崎製鋼所争議を支援し、尼崎の労働運動の中核として地歩を固めた。また長期革新市政の支柱の役割を果たした。1993年9月「連合尼崎」が結成されたことにより、尼崎地評は解散した。

執筆者: 福永文夫

参考文献

  • 『40年の歩み-尼崎地評結成40周年記念誌』 1991
  • 黒住健次他「総評尼崎地評の結成前後」『地域史研究』第14巻第3号 1985
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