若王寺
なこうじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
園田地区の大字。市域北東部に位置する。弥生後期~古墳時代の若王寺遺跡があり、旧小字の西寺開・東寺開付近からは奈良~鎌倉時代の瓦が出土している。「菩提場所説一字頂輪王経」巻三応永19年(1412)奥書(北野一切経/大日本史料)に見える寺院・若王寺が古代からここに存在し、地名となったものと考えられる。地名と判断できる史料上の初見は「広島別院旧蔵蓮如上人遺文」(『宝塚市史』第4巻)の1483年(文明15)の内容を記す個所である。
近世初期には幕府領であった村の大部が1626年(寛永3)に大坂城代武蔵国岩槻藩阿部氏(正次系)の領地となり、1648年(慶安元)には大坂定番上総国飯野藩保科氏の領地となり、小部は1599年(慶長4)旗本船越氏(維貞系)の知行所となり明治に至った。村高は「慶長十年摂津国絵図」「元禄郷帳」「天保郷帳」のいずれのも557.64石とある。大井組に属した。氏神は熊野大神社、寺院は浄土真宗本願寺派浄円寺。
1889年(明治22)以降は園田村、1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1980年の住居表示により若王寺となったほか一部が上坂部・小中島・久々知・次屋となった。