荻原一青
おぎはらいっせい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1908年(明治41)10月4日 - 1975年(昭和50)7月7日
本名荻原信一。築地丸島町に生まれ、尼崎第一尋常小学校(現明城小)卒業後大阪市天下茶屋の蛭川芳雲画塾で学び、一青の号を得て友禅画家となる。1931年(昭和6)尼崎に帰り、城址の荒廃を嘆いて城郭研究と復元を志し、翌1932年ころから全国の古城を訪ねて城郭画制作を開始する。1945年6月の空襲で妻子・家財と城郭画・資料のすべてを焼失。1947年ころから制作を再開するが、1950年のジェーン台風で生活のすべてを失い日雇労働者となる。以後、昼間の肉体労働ののち夜間絵筆をとる生活を続け、1958年9月のどろんこ展(西宮市)に16点を出展して評価を得た。1960年、東京池袋の丸物百貨店での日本名城展に出品し、ここで城郭研究者・鳥羽正雄と知り合う。鳥羽の指導を得て、それまでの城郭風景画から史料にもとづいた復元図へと歩を進め、城郭画家の第一人者として高い評価を得るにいたった。1961年11月には150点を出品して尼崎市立図書館で、また1968年1月には200点を出品して労働福祉会館で、いずれも個展「日本名城画展」を開催、1968年11月には市民芸術奨励賞を受賞した。残された作品は300点以上に及んでおり、うち多くは観光施設熱海城の日本城郭資料館に収蔵されている。
参考文献
- 荻原一青『城郭画集成』 1968 「城郭画集成」出版世話人会
- 『日本名城画集成』 1978 小学館