国訴
こくそ
(菜種訴願より転送)
(菜種訴願より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
読みは「くにそ」とも。
菜種・綿の販売、肥料の購入などに関する一国的規模の農民の訴願運動を国訴といっている。この国訴に至るまでの前史は18世紀中ごろ西摂とくに武庫川下流域に始まった。18世紀灘目地方で絞り油業が展開し、武庫平野を中心に菜種作が盛んになった。それにともない、当地農民の菜種の販売に幕府-株仲間が規制を加えてくる。1759年(宝暦9)には西摂を実質的対象に菜種はすべて大坂へ積み登すよう触れを出した。これに対して菟原〔うはら〕郡幕府領7か村から、地元で菜種が売れるようにと訴願した。この訴願を初見として、18世紀後半、最も強い流通規制が菜種に対して加わるにつれて、しばしばその改善を求める訴願がなされた。村数も武庫川下流数十か村の訴願から、やがて領域を越え国を越えて、ついには菜種関係では1824年(文政7)4月の摂河泉1,460か村の訴願、綿では同年6月の摂河1,007か村の訴願へと広がり、まさに国訴というにふさわしい規模にまで高揚した。その内容も、幕府の規制、株仲間の独占をゆるめ流通の自由を求める訴願、菜種・綿の手広売買を求めるものから、やがて封建的統制、独占機構の否定を求める反封建的性格のものに高まっていく。1823年5月大坂三郷実綿問屋株を廃し綿の売りさばきの手広になるように願った摂河786か村の国訴、1838年(天保9)株仲間=在方絞り油屋の廃止を求めた河内16郡の国訴にまで高揚した。一揆のような犠牲をともなうものでなく、他地方にない合法的な嘆願によって封建的流通機構を突き崩すまでに迫った。武庫川下流域はこのような先進地特有の合法的訴願でもって封建体制に迫る、運動発生の地であったわけである。
参考文献
- 八木哲浩『近世の商品流通』 1962 塙書房