葭島
よしじま
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
近世には、尼崎地域の海岸部の砂州を陸地化して新たに町場や新田がつくられた。これらの砂州の多くには葭が生えていたらしく、築地町が建設された島や、大浜新田・中浜新田などが開発された又兵衛新田・道意新田の地先ももとは葭島と呼ばれた。こうしたなかで、大字に準ずるものとして郷帳などにも記載されたのが、近世尼崎町の南に位置した葭島であった。川辺郡に属し、尼崎藩領であった。石高は「元禄郷帳」に68.12石、「天保郷帳」に534.113石とある。ここに、新城屋新田(1716年・享保元高入れ、以下同じ)・初島新田(1724年・享保9)・松島新田(初島之内、高入れ年不明)・東浜新田(1765年・明和2)・東高洲新地(1777年・安永6)・西高洲新地(同前)・大高洲新田(1851年・嘉永4)・西御見立新田(1861年・文久元)といった新田が開発された。1880年(明治13)に大洲村となった。