幕府領
ばくふりょう
(蔵入地より転送)
(蔵入地より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
市域の幕府直領〔じきりょう〕(直轄領)については、大坂の陣の直後の1615年(元和元)に市域村高の6割近くを占めていたが、1617年の尼崎藩戸田氏の入部後は市域村高の2割(園田・小田地区のみ)に減少した。1735年(享保20)ころには、摂津・河内の幕府直領は大坂城より半径10km以内に集中し、その地域のほとんどを占め、その他は川辺・有馬・八部〔やたべ〕郡の山間部・山寄りの地にある程度であった。1769年(明和6)幕府は尼崎藩領その他の灘地域浜手一帯を公収し、灘地方の豊かな酒造地帯と兵庫津・西宮といった港をもつ町場を直領とした。村支配の特徴としては、1677年(延宝5)から幕府領だけで検地が実施された(延宝検地)。摂津では尼崎藩主青山幸利が高槻藩永井氏・三田藩九鬼氏とともに担当し、市域の幕府領村々は永井氏と九鬼氏が検地した。