尼崎共立銀行
(藤田銀行より転送)
江戸時代以来の尼崎町の両替商・質商でまた大地主であり、三収組の創設者でもあった梶源左衛門が中心となって1893年(明治26)3月創立された尼崎融通(株)(資本金3万円、当初払込資本金2万円)が、1895年10月尼崎共立銀行となった。店舗は別所村におかれ、東町の尼崎銀行にたいして西町を地盤とした。しかし三収組紡績所の不振のため、1900年梶は破産し同行頭取の地位を退いた。その後も経営が悪化し、遅くとも1925年(大正14)には大阪の藤田銀行の系列下に入り、さらに1927年(昭和2)の金融恐慌の打撃によって藤田銀行が三十四・山口・野村の3行により業務分割されることになったので、尼崎共立銀行は1929年3月山口銀行に吸収され、別所村の本店は山口銀行尼崎支店となった。山口銀行は1933年三和銀行に発展した。
本店は当初西本町通南側に位置していたが、1923年(大正12)3月に新築した際、通りの北側(西本町3丁目)に移転した。このとき新築された本店の建物は、現在も国道43号線沿いに本町ビルの名で残っており、尼崎における初期の鉄筋コンクリート造建築として貴重な存在である。旧尼崎共立銀行本店は山口銀行の尼崎支店となった後、1933年三和銀行尼崎西支店となり、1936年(昭和11)11月に尼崎支店(旧尼崎銀行本店・西本町1丁目)と併合、尼崎支店と改称した。その後1939年12月西本町1丁目に移転、1945年3月には戦災により尼崎北支店(昭和通7丁目・現西難波町4丁目)内に移った。さらに1946年12月に昭和通3丁目(玉江橋西詰・現尼崎商工会議所ビルの場所)に移転、1982年頃には西難波町の尼崎北支店と併合し、尼崎北支店が尼崎支店と改称して業務を継承した。
三和銀行は、2002年(平成14)1月に東海銀行との合併でUFJ銀行となり、2006年1月には東京三菱銀行と合併し三菱東京UFJ銀行となった。西難波町4丁目の旧UFJ尼崎支店を三菱東京UFJの尼崎支店としている。
参考文献
- 『三和銀行史』 1954