藩債処分

はんさいしょぶん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  廃藩置県によって江戸時代以来累積していた諸藩の藩債を引きつぐこととなった政府は、各藩の債務の実態を調査したうえ1872年(明治5)2月藩債処分の大綱を決定した。藩債をその発生年次によって、1843年(天保14)以前のものは「古借」(古債)、1844年(弘化元)から1867年(慶応3)までのものは「中借」(旧債)、1868年(明治元)から廃藩までのものは「新借」(新債)と区分し、古借はすべて切り捨て、中借は無利息50年賦償還の旧公債で、新借は3年据置25年賦4分利付の新公債で返済することになった。尼崎藩では藩債総額30万2,427円のうち古借は4万9,176円、旧債6万8,972円と比較的少なかったのにたいして、新債は17万3,446円と57%以上を占めた。これは維新後の激動期に藩債が急激に膨張し、4年間平均して藩収入の20%程度の債務を重ねていた計算になる。市域に所領のあった半原藩飯野藩小泉藩の場合も半原藩が新借が比較的少なかったほかは同様であって、廃藩時にはいずれの藩も深刻な財政難にあったことがわかる。また旧藩において発行していた藩札も実質的には藩債であって、政府は廃藩置県と同時に諸藩の藩札をそのときの通用相場で通貨と交換することを布告した。尼崎藩では1777年(安永6)、1863年(文久3)の2回に3000貫文の銀札が発行されていたが、1870年(明治3)には銭札30万貫文の藩札が発行・流通していた。この藩札は1876年4月までに新紙幣との交換が完了した。藩債処分も藩札処分も、それに関係した商人資本の債権を保護・救済する結果となった。

執筆者: 山崎隆三

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