行基
ぎょうき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
奈良時代の高僧。俗姓高志〔こし〕氏。父母ともに渡来系氏族で、河内国(のち和泉国)大鳥郡蜂田里(現堺市)の母方の家に生まれ、682年(天武11)出家した(大僧正舎利瓶記)。704年(慶雲元)、生家を家原寺〔えばらじ〕に改め、畿内を中心に民間への布教や貧民救済のために布施屋を設置し、また池溝などの土木開発を展開した(行基年譜)。717年(養老元)には彼の活動に禁圧が加えられたが、731年(天平3)には緩和され、彼の力量を朝廷が利用するようになっていた(続日本紀)。昆陽池・昆陽施院などもこのころに彼の手によって築造されたと言われている。このような社会事業に努めていた行基は菩薩とも呼ばれた。743年(天平15)には東大寺大仏造営に協力し、745年、大僧正に任じられた。
参考文献
- 井上薫『行基』 1959 吉川弘文館
- 吉田靖雄『行基と律令国家』 1987 吉川弘文館