西宮・今津酒造業
にしのみや いまづしゅぞうぎょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
西宮・今津はともに近世江戸積酒造業の発展した地域で、いずれも現在の灘五郷のうちの2郷を形成している。しかし、近世酒造業は前期には城下町・宿場町・在郷町を中心に都市産業として発展したのに対し、後期には農村工業として在方において発展していった。江戸積酒造業についてもこれが妥当し、西宮は伊丹・池田とともにに元禄期(1688~1704)の江戸積銘醸地の一つであった。西宮・今津が1769年(明和6)幕府領となったとき、西宮は大坂町奉行所支配となったが、今津は在方として代官所支配となり、近世後期に灘酒造業の一翼をになって急速に江戸積酒造業の発展がみられた。そのため西宮は一時衰退を余儀なくされたが、幕末期には宮水と仕込み技術の開発による、新たな酒造家が輩出し、明治期にかけて急速に成長していった。そして摂津灘酒造業組合の結成をみた1886年(明治19)には、西宮・今津を含めて、御影・魚崎・西郷からなる現在の灘五郷が形成された。
参考文献
- 『西宮市史』第2巻 1960
- 柚木学『酒造りの歴史』 1987 雄山閣出版