大坂・尼崎から兵庫津方面へ向かう中国街道と京都・山崎からの西国街道が出会う西宮に設けられた駅所。幕府の指定により人足25人・馬25匹を常備する馬借所が設けられた。1769年(明和6)以前の尼崎藩領時代は藩が不足人馬の手当米を支給して公用継ぎ立ての渋滞を防いだが、幕府領となって以後は助成がないまま公用は増加する一方であった。1770年、西宮町の願いにより武庫・菟原〔うはら〕郡のうち33村(ほとんど尼崎藩領)が助郷の村に指定された。その後も助郷人足の必要数は増え続けたため、33村の嘆願により1783年(天明3)助郷人足数の限度を定め、武庫・川辺郡のうちから69村の加助郷村が指定された。
執筆者: 地域研究史料館