西富松
にしとまつ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
武庫地区の大字。市域北西部、庄下川の上流に位置する。富松荘が室町時代初期から戦国時代初頭に東西にわかれ、西側部分は西富松荘と呼ばれるようになった。史料上の初見は1504年(永正元)「法印禅慶譲状」(北野神社文書)。
近世初期には幕府領、1617年(元和3)尼崎藩領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に191.7石、「元禄郷帳」に221.522石、「天保郷帳」に221.538石とある。また、天和・貞享年間(1681~1688)「尼崎領内高・家数・人数・船数等覚」(『地域史研究』第10巻第3号)には家数26軒、人数153人、1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)には26軒、129人とある。富松井組に属した。氏神は須佐男神社(近世には牛頭天王社)。
1889年(明治22)以降は武庫村、1942年(昭和17)以降は尼崎市の大字となった。1937年には阪急電鉄の武庫之荘駅が開設された。1979年の住居表示で武庫之荘東となったほか、一部は武庫之荘・南武庫之荘となり、西富松という地名は消滅した。