中国街道の武庫川に越える渡し。西新田村が担当した。水の少ないときは仮橋が架けられていた。1871年(明治4)当時、渡り賃は旅人1人13文、船渡しは24文、増水時船頭2人乗れば48文と増銭があった。幕末近くなって公用人馬の往来が増え、農業のかたわら川越えを勤めるので、ほかの諸役の免除を嘆願したがいれられなかった。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 交通(近世)