西小屋荘
にしこやのしょう
(西昆陽荘より転送)
(西昆陽荘より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
現在の西昆陽から武庫川の対岸西宮市田近野町付近に位置した興福寺の荘園。もとは、後醍醐天皇の信任が厚かった内大臣吉田定房の所領。14世紀初期、定房が興福寺大乗院門跡の孝覚僧正に寄進し、やがて大乗院の院家のうち松林院が代々知行するにいたった。当荘の年貢は、二季の大般若会の用途にあてられたため、それは寄進者の吉田定房にちなんで「吉田大般若」とも呼ばれた。しかし、南北朝動乱のなかで、摂津守護赤松光範の被官をはじめ武士の侵略があいつぎ、14世紀中葉には室町幕府による半済〔はんぜい〕が実施されるなど荘園の解体がすすんだ。同じころ、当荘内の田近村が九条家領としてみえるなど錯綜した支配関係の存在をうかがわせる。応仁の乱後は武士の侵略はますます激しくなり、興福寺はくり返しその禁止を幕府に訴えるが効果なく、ついに戦国期には不知行となった。