西武庫
にしむこ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
武庫地区の大字。市域北東部、武庫川の東岸に位置する。史料上の初見は、正保年間(1644~1648)の「正保郷帳」(『尼崎市史』第5巻)で、1605年「慶長十年摂津国絵図」には養田村となっている。
近世初期には幕府領、1617年(元和3)旗本佐藤氏(信則系)の知行所となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に152.221石、「元禄郷帳」に152.521石、「天保郷帳」に192.165石とある。武庫井組に属した。氏神は須佐男神社(近世には牛頭天王社)、寺院は浄土真宗興正派養専寺。西武庫須佐男神社十三重塔が残っている。
1889年(明治22)以降は武庫村、1942年(昭和17)以降は尼崎市の大字となった。常吉にかけて市域で最初の大規模団地である西武庫団地が建設され、1962年に入居を開始した。1965・1977年の住居表示により武庫元町・武庫町の一部となり、西武庫という地名は消滅した。