西淀川公害訴訟
大阪市西淀川区の公害病認定患者たちが国と阪神高速道路公団および関西電力など企業10社を相手に、環境基準を超える大気汚染物質の排出差し止めと総額約123億円の損害賠償を求めて提訴した訴訟。1978年(昭和53)4月の第1次提訴に始まり、1992年(平成4)4月の第4次まで提訴された。西淀川区が公害激甚地となったのは、昭和初期まで半農半漁の同地が15年戦争と戦後復興で大阪有数の工業地に急激に変化したことによる。しかも、同区の北に位置する尼崎の工場群の排煙で汚染が倍加された。訴訟で被告とされた企業10社のうち6社は尼崎に立地している。1991年(平成3)3月29日の大阪地裁判決(第1次提訴分)は、被告企業10社に3億6,000万円の賠償金支払いを命じた。国と阪神高速道路公団の大気汚染責任は認められず、差し止め請求もしりぞけられたが、分散型・自然集積型工場群に関連共同性を認めたことは画期的な判決であった。原告・被告双方の控訴により、大阪高裁で審理中であったが、1995年3月2日、原告側に有利な条件で国・公団を除き企業9社(1社は更生会社)と和解成立。第2~4次訴訟については、同年7月5日、国と公団の賠償責任を認める大阪地裁判決が出された。
1995年3月2日の被告企業との和解により、第1~4次訴訟の原告全員に対して解決金39億9千万円が支払われ、そのうち15億円を「原告らの環境保健、生活環境の改善、西淀川地域の再生などに使用する」ことが和解条件とされた。この解決金を原資として財団法人公害地域再生センター(あおぞら財団)設立が計画され、1996年9月11日、設立が環境庁から許可された。その後、2011年7月には公益財団法人に移行している。一方、第1次提訴分の国および阪神高速道路公団に対する控訴審に加えて、1995年8月2日、第2次・第3次訴訟について国と公団が控訴した。原告側が裁判と平行して問題解決に向けた交渉を建設省本省・近畿地方建設局および公団との間に続け、さらに審理中の大阪高等裁判所から原告被告双方に対して和解勧告が行なわれたことから、1998年7月29日、国および公団との間に交通負荷の軽減、総合的な環境対策の実施、「西淀川地区道路沿道環境に関する連絡会」の設置などを条件とする和解が成立した。
参考文献
- 小山仁示『西淀川公害』 1988 東方出版
- 津留崎直美「西淀川公害裁判判決の意義」『地域史研究』第21巻第1号 1991