警防団

けいぼうだん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  軍需工場の集中する尼崎市の防空機能を整備すべく、尼崎防護団が1935年(昭和10)10月に結成され防空訓練や普及啓発などの活動を行なった。1939年4月、この防護団と消防組を統合して尼崎市警防団が設置された。これは同年1月に公布された警防団令にもとづき、防空・防火体制の統一・強化を目的とする措置であった。警察署長の指揮監督のもと、旧尼崎市消防組の組頭・副組頭が団長・副団長となり、9分団および常備部・衛生部、団員1,232名、消防自動車10台という陣容で、北城内尼崎警察署内の消防組屯所が本部となった。1941年9月20日、勅令第807号により特設消防署制度が定められ、同日付兵庫県訓令甲及び同告示により常備部は新たに設置された尼崎消防署に移行し、兵庫県警察部に属することとなった。1943年3月には15分団に再編成され団員608名に縮小された。このほか、市域各村でも警防団が編成され、1942年の尼崎市と大庄・立花・武庫村の合併後も合併村の3警防団は統合されずそのまま存続した。また、工場防護団は警防団には統合されず工場防衛団に改組された。

  戦後、合併した園田村の警防団を含めた5警防団は、消防団令公布により1947年4月20日に廃止され、新たに中央・小田・大庄・立花・武庫・園田の6消防団が組織された。1962年7月22日、6消防団は尼崎市消防団に統合された。

執筆者: 地域研究史料館

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