兵庫県農会では、食糧需要の増大に対応する増産のために、1902年(明治35)共同苗代・塩水選・稲正条植などの農事改良方針を示したが、この共同苗代などを契機として部落単位で農事改良のための農家小組合が組織された。1932年(昭和7)産業組合法が改正され、産業組合の強化発展をはかり部落単位で産業組合への加入をすすめるために、農家小組合が簡易法人化され農事実行組合となった。農事実行組合はそれまでの農事改良事業のほか、産業組合の末端組織として農産物共同販売、肥料などの共同購入、戦時下での供出などの実行にあたった。1947年11月解散されたが、実質的には農業協同組合として存続した。
執筆者: 山崎隆三