道意

どうい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  17世紀ころの人、姓は中野。道意新田開発の端緒となった、西成郡海老江村(現大阪市福島区)の人。尼崎藩主青山幸利の針医として伺候するうち幸利に新田開発を勧められ、縁者の大坂玉造鍵屋九郎兵衛と相談。東新田村の地先、太布脇〔たぶわき〕の地を見立て、1653年(承応2)に鍵屋九郎兵衛ら3人が開発の願いを出した。1669年(寛文9)、開発地は検地を受け、そのときから道意新田と改められた。

執筆者: 山下幸子

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