郡制廃止

ぐんせいはいし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  郡制によって郡長・郡役所と郡会が設置されたが、これら郡の経費すなわち郡費はすべて郡下の町村の負担であった。郡は府県と町村の中間の行政機関として重要な役割を担っていたが、同時に郡を経由することで町村事務は停滞・繁雑化し、また郡費は町村財政にとって次第に重い負担となった。それで郡制を廃止して町村行政の整理・緊縮をはかることが町村から要望された。はやくも1904年(明治37)の帝国議会で郡制廃止が一議員から提起され、1906年には政府は郡役所存置のままで郡会のみ廃止することを提案したがこのときは実現しなかった。その後たとえば1916年(大正5)の尼崎市市制施行のように新しい市ができると残された町村にとって郡費はますます重い負担となった。ついに1921年4月郡制廃止の法律が公布され、1923年4月1日をもって郡制を廃止した。これにより郡会が廃止され、郡道・郡橋など郡有財産は府県または町村に移管され、国の地方行政官庁として郡長・郡役所が存続した。1924年9月全国町村長会は郡役所廃止を決議し、政府もこれに抗しきれず1926年7月1日をもって郡長・郡役所を廃止した。

執筆者: 山崎隆三

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