金井重要工業
1865年(元治2)、播州龍野で生まれた創業者金井熊吉は、1894年(明治27)、日本の基幹産業として成長しはじめた紡績業の重要部品トラベラーの製造に国内ではじめて成功し、同年6月旧尼崎町の辰巳町西浜で事業を開始した。数年後辰巳町東浜に工場を新築移転、1907年には旧城郭内(現南城内)に1,600m2の用地を取得して金井トラベラー製造所を設立、大正期には国内トラベラーの大部分を供給するまでに成長した。その後リングなど繊維機械部品の製造も開始、1927年(昭和2)には大庄村東大島(阪神国道浜田車庫前)の敷地3万3,000m2に新鋭工場を建設、トラベラー製造所の本拠とした。1934年にはトラベラー用線材の自給を目指して三反田に金井特殊鋼線製造所(2万6,000m2)を建設、1932年に日本で最初に針布の国産化に成功したのを受けて1938年には稲野村池尻(現伊丹市)に金井針布製造所(9万9,000m2)を建設、同じころ、伊丹にあった春日機械工作所を吸収して金井精密機械工作所も発足していた。
太平洋戦争開戦後生産品目も航空機部品などが増加するなか、1943年5月、上記4事業所を統合して資本金800万円の金井重要工業(株)として新発足し、1944年には軍需工場の指定を受けた。1945年8月6日の空襲ではトラベラー工場の一部が被災したが軽微で、翌年なかごろから復興が軌道に乗った。1952年には関連事業として自動車用車輪製造の金井車輪工業(株)を設立、1958年には不織布事業に進出して宝塚市に製造所を建設、また特殊鋼線製造所の事業が昭和40年代以降大きく成長して、現トクセン工業(株)(小野市)となった。1977年にはトラベラー製造所を伊丹市内の針布製造所に移転統合し、繊維機器製造所とした。これにより、尼崎市内の同社製造施設はなくなった。さらに1987年には世界最古のトラベラー製造メーカーである“Eadie Bros & Co. Ltd”(英国)を買収、1989年(平成元)には米国アーカンソー州にトクセン工業が“TOKUSEN U.S.A.”を設立するなど、海外にも大きく進出している。
参考文献
- 『百寿』 1994 金井重要工業