金楽寺
きんらくじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
小田地区の大字。市域南東部に位置する。奈良~鎌倉時代の金楽寺貝塚がある。735年(天平7)に唐から帰国した吉備真備が長洲の地に錦楽寺という寺院を建立したという伝説があり、地名は古代または中世の寺院名に由来する可能性がある。長洲荘の荘域に形成された集落であった。史料上の初見は戦国時代初期の「広徳寺田地目録」(大徳寺文書)。
近世初期には幕府領、1617年(元和3)旗本長谷川氏(守知系)の知行所となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」「元禄郷帳」「天保郷帳」のいずれにも405.535石とある。大井組に属した。氏神は吉備彦〔きびひこ〕神社。
1889年(明治22)以降は小田村、1936年(昭和11)以降は尼崎市の大字となった。1912年(明治45)に隣接する長洲村地内に官設鉄道の尼崎支線金楽寺駅が開設され、1981年(昭和56)廃止された。1991年(平成3)の住居表示により金楽寺町となったほか、一部が長洲本通・西長洲町・潮江となった。