金楽寺貝塚
きんらくじかいづか
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
金楽寺1丁目。吉備彦神社境内にある、奈良時代から鎌倉時代の貝塚状の遺跡。この神社境内を頂点とした付近一帯は旧砂州で、微高地、同様の貝塚遺跡は、旧砂州がつづく西長洲から今福にかけて、かつて見られた。1948年(昭和23)と1961年に発掘調査が行なわれ、出土した貝類には淡水性のイシガイ・オオタニシ、汽水性のヤマトシジミ、鹹水〔かんすい〕性のアカガイ(出土量の50%)などがあった。獣骨では、食用に供されたらしい痕跡のあるウシがもっとも多く、鳥類、魚類の骨もある。遺物には奈良~鎌倉時代の土錘〔つちおもり〕・石錘・瓦錘など漁具が多く、土師〔はじ〕質羽釜、土師器、須恵器〔すえき〕、黒色土器、石包丁、皇朝十二銭のうち4種、中国銭1種などがある。奈良時代の層に湖沼・河川に生息する淡水性・汽水性の貝類が主で、積極的な漁業は営まれていないが漁民集落であったこと、平安時代から鎌倉時代の層では海水産のアカガイなどが多量に出土し、専業化した漁民の集落であったことが想定できる。また、平安末期から鎌倉時代の瓦類の出土は、寺院や役所、または支配階級の居館の存在を示している。