金禄公債
きんろくこうさい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1876年(明治9)8月の金禄公債証書発行条例にもとづいて、政府はすべての家禄受給者にたいして強制的に金禄の5年ないし14年半分に相当する額面の金禄公債を公布した。この公債は金禄の高によって30等級に分け、たとえば最高等級の金禄7万円以上には5年分の額面で5分利付、最低等級の金禄25円未満には14年半分の額面で7分利付というように額面・利率の両面で上薄下厚に決定された。しかし大名クラスの高額のものは銀行設立などに活用することができたのに対して、一般の士族にとってはこの公債の利子は従来の家禄収入に比して大幅な収入減となって窮乏没落の原因となった。この条例と同時に実施された国立銀行条例の改正によって金禄公債を資本金として銀行設立のみちが開かれた。尼崎でもこの国立銀行設立計画はなされたが、結局実現しなかった。この公債の償還は発行当初の予定よりかなり早く1906年に完了した。