金融恐慌

きんゆうきょうこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  関東大震災の被災企業に対する応急措置として取り扱われていた震災地関係手形の処置法案が1927年(昭和2)議会で論議されているなかで、3月片岡蔵相が東京渡辺銀行の破綻について失言したことから同銀行が休業することとなり、つづいて全国各地の銀行に波及し4月には加島・十五など大銀行も取付・休業となり、台湾銀行の内地支店も休業しあた。また台湾銀行と深い関係のあった神戸の鈴木商店が破産した。これがいわゆる金融恐慌である。この恐慌のなかで、尼崎では尼崎共立銀行山口銀行に吸収合併され、市内に支店のあった加島銀行摂池銀行もそれぞれ野村・山口両銀行に合併され銀行業界の再編成がすすんだ。鈴木商店の破産により丸島築港計画は最終的に消滅した。

執筆者: 山崎隆三

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