鉢塚古墳
はちづかこふん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
池田市鉢塚2丁目にある後期古墳。五月山塊から南へ派生する五月山丘陵の突端に築造されている。内部主体は主に花崗岩〔かこうがん〕を用いた横穴式石室で、石室の入口に後世になって築かれた石垣に家形石棺の破片が使用されており、本墳に納められていたものと考えられる。石室の規模は全長12.8m、玄室の高さ5.1m、同幅3.5mを測り、玄室の高さという点では大阪府下最大である。墳丘の現状は、上円下方形を呈し、下方部は一辺40m、上円部径25m、高さ9mを測る。また、周囲には幅2m、深さ1mの周濠が認められる。この形状は古くから注目され、イギリス人ウイリアム・ゴーランドは報告論文「日本のドルメンとその築造者達」のなかで、鉢塚古墳をテラスのある墳丘であると注記している。しかし、下方部の直線を示す裾部は中世の改修を受けていること、横穴式石室の主軸と合致していないことから、径約40mの円墳と考えられる。
本墳は、現在、五社神社の境内にあり、石室内には鎌倉時代の様式をもつ石造十三重塔(重要文化財)が安置されている。
2001年、本墳の東側で実施したトレンチ調査で、幅7mの周溝が検出された。その結果、本墳の墳丘は径45mの円墳で周溝を含めた径は60mになると考えられるようになった。また、石室の再実測により全長14.88m、玄室長6.48m、同幅3.2m、同高5.2mであること、奥壁に安置されている石造十三重塔は、阪神・淡路大震災による修理時の調査で室町時代の製作であることが判明している。
参考文献
- 『新版池田市史』概説篇 1971