銀札
ぎんさつ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
近世初期、商品流通が畿内の町場を中心に急激に進展したため、流通に必要な貨幣量(金銀銭貨)が不足する現象が現れた。ここに畿内の町場の有力町人の信用において不足を補う局地的通貨としての銀札が発行された。1637年(寛永14)発行の樽屋七兵衛銀札は尼崎城下の貨幣流通を円滑にするために出された私札であった。その後、貨幣流通の農村部への拡大とともに、銀札は私札から、より広域に流通する藩札の発行に向かう。藩札も当初はまだ町場の町人を銀主として発行された。1684年(貞享元)発行の西宮銀札(尼崎藩札)はその例である。しかしやがて18世紀中期農民を札元とする銀札(藩札)の発行が進む。まだ銀の準備があってのことではなく、田畑を質物としての発行ではあったが、その発行が契機となって尼崎藩領での銀札は画期的に増大した。これまで額面1匁以下の銀札の発行であったものが、10匁銀札、100匁銀札の発行もみられるようになった。
本項目内に西宮銀札が1684年(貞享元)発行とあるが、現在では西宮銀札が初めて発行されたのは札遣い停止令が解かれた翌年の1731年(享保16)という説が有力である。この説によると、確認できる最古の藩札は1701年(元禄14)発行の尼崎町七松屋新右衛門を銀主とした銀一匁札である。
参考文献
- 永井久美男「西宮銀札の「甲子」押懸け印-西宮銀札の貞享元年発行説を否定する-」『地域史研究』第31巻第2号 2001