長洲天満宮本殿
ながすてんまんぐうほんでん
(長洲天満神社本殿より転送)
(長洲天満神社本殿より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
一間社流造〔ながれづく〕り檜皮葺〔ひわだぶき〕。建立年代は棟札により1607年(慶長12)と明らかで、桃山時代の特色をよく示している。向拝頭貫〔こうはいかしらぬき〕は虹梁〔こうりょう〕形、先端を象鼻〔ぞうばな〕として組物は連三斗〔つれみつど〕、中備〔なかぞなえ〕は蟇股〔かえるまた〕。向拝に浜床を設け、高欄をそえる。主屋正面では擬宝子〔ぎぼし〕柱をたて、木の階段5段をおき登高欄〔のぼりこうらん〕で縁にのぼる。縁には刎〔はね〕高欄をそえ、見切りに脇障子をかまえ、上に竹節の欄間を飾る。向拝と主屋とは海老虹梁でつなぎ、頭貫先端は桁行方向・背面梁行とも繰形〔くりかた〕つきの木鼻〔きばな〕とする。妻組は虹梁大瓶束〔たいへいづか〕、大瓶束上方に象鼻状の木鼻を出して肘木〔ひじき〕をもち出し、棟をうける。軒は向拝・主屋とも二軒〔ふたのき〕。屋根の箱棟の上には、千木・勝男木を飾らない。大工棟梁は尼崎の甚左衛門尉吉成。当本殿は小社であるが、木鼻を豊富に出して絵様もかえて時代の特色を反映している。
長洲天満神社本殿は1983年(昭和58)3月24日に尼崎市指定文化財に指定され、2002年(平成14)4月9日には「長洲天満神社本殿(附、棟札1枚)」として兵庫県指定重要文化財に指定された。
1997年、本殿の檜皮葺屋根の野地板補修材として、27面の絵馬が裁断して使用されていたことが発見された。覆屋の工事が宝暦年間(1751~64)に行なわれており、27面のうち19面は延宝8年(1680)~寛保元年(1741)の奉納年月日が確認されていることから、この際に裁断されたと考えられる。尼崎市内では他に例を見ない貴重な17世紀の絵馬であり、2000年3月23日、尼崎市指定文化財となった。