旗本。1617年(元和3)長谷川守知〔もりとも〕は摂津国川辺・武庫・八部郡ほかにおいて1万石を宛行なわれ、市域では田能のうち、高田・金楽寺・友行が知行所となった。1632年(寛永9)正尚〔まさなお〕は、弟守勝〔もりかつ〕に3,110石余を分知、市域の知行所は友行村の小部を除き守勝の知行所となり、明治にいたった。1646年(正保3)守俊〔もりとし〕の死により守知系は絶家、市域の守知系知行所は公収された。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 領主・支配(近世)