生没年未詳
南北朝時代前期の摂津国守護代。官途は安芸守。観応の擾乱〔じょうらん〕後、摂津守護は赤松光範で、間島範清はその被官であった。出身地は未詳であるが、赤松氏の本貫播磨国佐用荘近辺かと推測される。幕府は1355年(文和4)春日社領摂津国浜・富松両郷の返還を守護光範に命じ、範清は同年3月、配下の桜井助房なる人物に対し下地〔したじ〕の打渡〔うちわた〕しを命じた。しかし、それは形式的な命令だけで、範清自身が押領者であると春日社に訴えられている。
執筆者: 今谷明
参考文献
- 佐藤進一『室町幕府守護制度の研究』上 1967 東京大学出版会
関連項目