関西共同火力発電
かんさいきょうどうかりょくはつでん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1931年(昭和6)7月、関西系の日本電力・大同電力・宇治川電気・京都電灯の4大電力会社の共同出資により設立された株式会社。資本金1,000万円(4社均等出資)。初代社長は宇治川電気社長林安繁。日本の電気事業は、1931~1932年ころ以降競争の時代から国家による統制と協調の時代へと変化したが、この会社の設立はそうした時代の流れにそうものであって、近畿地方の電気事業者が、今後必要とする火力発電設備のすべてを独占することを政府によって保証されたものであった。発電所の建設地は、当時大阪市住吉区の木津川河口に予定されたが、用炭関係より見て港湾・陸揚等の諸設備を考慮し、大庄村地先の尼崎築港埋立地に変更。1932年9月第1期計画の尼崎発電所(尼崎第一発電所)着工、1936年完成。同年12月第2期計画(尼崎第二発電所)着工、1939年完成した。1939年4月日本発送電(株)が創立されると、主要送電設備・火力発電設備をすべて同社に移管して解散した。
現尼崎市域にあった関西共同火力の発電所は、1951年(昭和26)5月に日本発送電が解散すると関西電力に移管され、尼崎第一発電所が1974年9月、尼崎第二発電所が1976年3月にそれぞれ廃止された。
参考文献
- 『関西共同火力発電株式会社事業史』 1941