関西労災病院
かんさいろうさいびょういん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1950年(昭和25)、関西に労働者災害補償保険法にもとづく労災病院を設置することが労働省によって計画された。この病院の尼崎への設置を市・県・労使双方が陳情、西大島字稲葉荘(現稲葉荘3丁目)の敷地3万3,000m2余りを市が提供し日本で4番目の労災病院として着工、内科・外科・整形外科・理学診療科の4診療科、病床数50床をもって1953年1月20日部分開業した。同年8月の本館竣工後も工事を進め、1956年4月には当初計画規模である548床まで増床、9診療科となり1960年3月には総合病院の認可を得た。開業当初は財団法人労災協会の運営であったが、1957年7月、労働福祉事業団の設立にともない運営が同事業団に移管された。その後も労災医療のみならず勤労者や地域の医療ニーズに対応する病院をめざして増改築を重ね、1984年の病床数670、翌1985年には18診療科となり、1993年7月現在延床面積3万8,345m2となった。臨床検査医師の養成を目的とする医療検査大学校が1970年4月に設置されたが1987年3月をもって廃校、1957年4月設置された准看学院は移転廃止・再開改組などを経て関西労災看護専門学校となっている。
1991年(平成3)増改築工事を開始、1996年(平成8)10月、第1期工事として新病棟南館が竣工。引き続き第2期工事にかかり、新病棟北館・外来棟・管理棟・エントランスを順次完成させて、2004年3月、すべての工事が完了した。2004年4月、運営主体の労働福祉事業団が独立行政法人労働者健康福祉機構に組織改編され、2016年4月にはさらに独立行政法人労働者健康安全機構へと組織改編された。