室戸台風

むろとたいふう
関西風水害より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1934年(昭和9)9月21日に阪神間を直撃した超大型台風。関西風水害とも呼ばれる。9月13日サイパン島西方に発生し、21日午前5時室戸岬で911.9ヘクトパスカルを記録、午前8時台風の中心が本庄村深江(現神戸市東灘区)に上陸、この時点で最大瞬間風速が秒速60mを記録し、阪神地方を通過した台風は北陸から東北地方を縦断し3府38県に被害をもたらした。特に大阪府の被害が最大であった。

  尼崎地域(現尼崎市域)では午前7時~8時半ころまで最高で秒速30mの暴風を記録し、前夜からの豪雨に加えて南南西の強風による高潮のため、8時10分ないし20分には潮位がO.P.(大阪湾最低潮位)4.7mに達した。当時の尼崎市では阪神本線以南全域、北大物〔だいもつ〕町・難波〔なにわ〕の一部など市域の約3分の2に浸水被害、大高洲町以南の浸水は3mに達した。また大庄村では又兵衛新田がほとんど壊滅、丸島も流出、道意新田中浜新田西新田などは大部分の家屋が床上浸水した。死者は現市域全体で146人(当時の尼崎市37人、大庄村99人、小田村9人、武庫村1人)、防潮堤・堤防・道路・橋梁・学校など公共施設や農地・工場被害も多大で、当時の尼崎市だけで被害総額1,900万円に昇った。広範囲の浸水被害をもたらした原因のひとつは、当時急速に進行していた地盤沈下にあった。

  罹災後、荒廃した南部一帯を重化学工業地帯として整備すべく災害復興の都市計画がたてられ、都市計画街路および運河の整備、災害復興・大庄の二つの土地区画整理事業が実施された。また11月には阪神間市町村連名による防潮堤の建設陳情が行なわれ、戦後実現することとなる。

室戸台風による被害

市村名尼崎市大庄村小田村
死者(人)37(3)99(4)9
重傷者(人)751529
軽傷者(人)158149101
住家流失(戸)16171-
住家全壊(戸)311126
住家半壊(戸)1464923
住家床上浸水(戸)4,070571363
住家床下浸水(戸)3,6551,136733
船舶流失(隻)13277-
  1. 兵庫県『昭和九年風水害誌』による。
  2. 死者の( )内の数字は、行方不明者の再掲である。
  3. 上記のほか、現市域では武庫村で死者1人を記録した。

執筆者: 地域研究史料館

参考文献

  • 兵庫県『昭和九年風水害誌』 1935
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