阪神上水道
昭和初期、阪神間の市町村は大阪、神戸の影響をうけ、その都市化の進展は目覚しいものがあった。この地域における水事情は極めて劣悪で上水道の布設がごく一部に限られており、衛生的にも保安上からも上水道の布設が緊急の課題となっていた。そこで兵庫県は阪神地域の水事情の実態を調査するため1933年(昭和8)8月に阪神地方上水道調査委員会を設置し、その対策を研究の結果長期的に安定した水源を確保し、阪神地域を一体とする広域的な水道建設が必要であると結論に達した。1936年7月、神戸・尼崎・西宮の3都市計画区域に編入される3市13町村を給水区域とする上水道を共同処理するため、阪神上水道市町村組合が設立された。尼崎地域としては、尼崎市と大庄・武庫・立花・園田の4か村が参加した。創設事業(第1期工事)は1日最大給水量を13万5,000m3とし、淀川を水源として1938年に着工1942年に給水を開始した。
戦後の復興期を経て日本の経済社会は急速な発展を遂げ、構成都市の水需要も年々急増したため、これに対応して1950年以降相次ぐ施設の拡張を重ね、1972年には1日最大給水量96万8,000m3の広域水道が完成した。尼崎市も市勢の伸長とともに年々受水量を増加し、1日最大受水量は1985年には25万4,000m3となった。この水量は尼崎市の総給水能力34万m3の約75%にあたる。
阪神上水道市町村組合の構成団体は発足後の市町村の合併により、最終的には神戸・尼崎・西宮・芦屋の4市となったので、組織の名称を1962年に阪神水道組合に、さらに1967年には阪神水道企業団に変更した。尼崎市内における阪神水道企業団の上水道施設は尼崎浄水場(南塚口4丁目)と猪名川浄水場(田能5丁目)がある。
水源である琵琶湖の水質悪化によるかび臭び、消毒剤の塩素と反応してできるトリハロメタンなど発がん性の疑いがある微量有機物の生成を防ぐため、1993年(平成5)7月、阪神水道企業団猪名川浄水場が淀川水系初の高度浄水処理水供給を開始した。その後順次施設改修を行ない、2000年7月には猪名川浄水場が全量高度処理化、2001年4月には尼崎浄水場も高度浄水処理水供給を開始し、これにより供給全量が高度浄水処理水となった。尼崎市水道局の神崎浄水場も1998年7月以降供給全量を高度浄水処理水としており、尼崎浄水場の高度処理化により市内に供給される水道水すべてが高度処理水となった。
参考文献
- 『阪神水道企業団五十年史』 1987
- 『尼崎市水道70年史』 1988