阿保親王塚古墳

あぼしんのうづかこふん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  芦屋市域最古の前期古墳で、4世紀後半の築造。芦屋市翠ヶ丘町にあり、六甲山の南麓、翠ヶ丘台地上に立地する円墳で、径約36m、高さ約3mを測る。ただし、毛利家文書によると、江戸時代に大修築が行なわれているため、墳丘の旧状は定かでない。発掘調査は全く実施されていないが、宝永年中(1704~1711)に副葬品の一部とみられる銅鏡10枚(一説には7枚)が出土しており、陳孝然作竟銘をもつ四神二獣の三角縁神獣鏡の存在が特筆される。埴輪〔はにわ〕列の遺存については不明であるが、微量の円筒埴輪片が採集されている。古墳名は毛利氏改修のころまでさかのぼるものの、被葬者とは全く関係しない。現在、「阿保親王墓」として宮内庁書陵部が管理しており、その範囲は周囲356mを測る矩形をなす。本墳の性格は、翠ヶ丘古墳群の最有力首長墓で、多量の三角縁神獣鏡の存在から、畿内政権と直接結びついた被葬者を想定することができる。

執筆者: 森岡秀人

参考文献

  • 『新修芦屋市史』本篇 1971・資料篇1 1976
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