松平忠喬

まつだいらただたか
霊台院より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1683年(天和3)正月9日 - 1756年(宝暦6)2月5日

  尼崎藩松平氏4万石の初代藩主1711年(宝永8)2月11日遠江国掛(懸)川(現静岡県掛川市)から転封。4万石。松平氏はこのあと7代160年間尼崎藩主となり、明治に至った。領村掌握のために大庄屋組を編成した。1726年(享保11)7月19日、西摂3郡武庫・川辺・有馬郡の大河川流域の土砂留大名に指定され、治水工事を進めた。尼崎にて死去。74歳。法号は霊台院殿仁誉興徳道融大居士。深正院に葬られた。

執筆者: 山下幸子

  忠喬は、祖父忠倶の嫡孫として1696年(元禄9)信濃国飯山(長野県飯山市)4万石の藩主となった。その後1706年(宝永3)遠江国掛(懸)川(現静岡県掛川市)に転封し、1711年(宝永8)2月11日に尼崎へ転封となった。1751年(宝暦元)3月、病を得て隠居し、同年同月嫡子の松平忠名が家督を継いだ。

執筆者: apedia編集部

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