青山幸成

あおやまよしなり
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1586年(天正14) - 1643年(寛永20)2月16日

  尼崎藩青山氏初代藩主。はじめ1602年(慶長7)下総国印幡郡のうちに領地500石を与えられて以後加増・昇進を続け、遠江国掛(懸)川(現静岡県掛川市)において5万石の大名となった。1635年(寛永12)7月28日掛川から尼崎に入部。5万石。領村支配の徹底と年貢の増徴をはかり、地方知行制の解消、郡右衛門の導入、役家体制の整備を行ない、新田開発を積極的に奨励した。遺言により世子の弟たち、青山幸通青山幸正青山幸高への分知を願い、のち旗本3家の創出をみた。江戸在府中に病死、58歳。芝増上寺に葬られた。家臣3人が殉死した。法号は梅窓院香誉浄薫。青山幸利のとき江戸青山の別荘に一宇を建立、梅窓院と号した。

執筆者: 山下幸子

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