青山幸督
あおやまよしまさ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
尼崎藩青山氏3代目藩主。2代目藩主青山幸利の孫。1684年(貞享元)9月29日、遺領を継いだ。父幸実は多病を理由に1680年(延宝8)蟄居している。1694年(元禄7)弟青山幸澄〔よしずみ〕に新田2,000石を武庫・菟原〔うはら〕郡のうちにおいて内分知した。尼崎城で病死、46歳。領内八部郡坂本村(現神戸市中央区楠町)の安養寺に葬られた。法号は泰源院霊誉光鑑雲英。
幸督の次男忠朝〔ただとも〕が、1730年(享保15)7月に青山氏の宗家である忠俊系の当主俊春〔としはる〕(丹波国亀山藩主)の養子となり、同年9月に襲封している。1748年(寛延元)8月に転封して丹波国篠山藩主となり、後に大坂城代を勤めた。