青山氏(幸成系)の分家。旗本。父青山幸成の遺言が認められ、1643年(寛永20)四男幸高は尼崎藩領武庫・川辺郡のうちから、新墾の地1,000石を分知された。市域では下坂部のうち200石が知行地となった。1701年(元禄14)幸遐〔よしはる〕が継いだとき、弟幸度〔よしのり〕に300石を分知し、武庫郡高木(現西宮市)がその知行地となった。幸高系700石、幸度系300石として明治をむかえた。1843年(天保14)川辺・武庫両郡の3か村が上知されたが、数か月後に撤回され、明治に至った。
執筆者: 山下幸子
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