青年学校

せいねんがっこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1935年(昭和10)青年訓練所実業補修学校を統一する青年学校令の公布によって、本市でも義務教育終了後満20歳の兵役入隊までの補充教育機関として青年学校(普通科2年、本科5年)が設立された。1938年在学生は公立9校2,128人、私立12校1,239人。

  1939年青年学校改正令によって、軍事能力の育成を目指して満12歳以上満19歳までの男子はすべて義務制となり、各市町村の国民学校に併設、各工場でも、付属の青年学校を設置し、1941年には急増36校(内女子青年学校2校)6,604人が在籍した。しかし戦況の進行とともに教員不足などのため1944年4月当時市内にあった12校が廃止されて城内・金楽寺・大庄・立花の4校に統合され、この4校および青年学校令で設置された市立尼崎家政実修女学校・市立小田家政実修女学校の2校となる。

  終戦後、工場閉鎖や存続目標の意味の消滅などのより自然休校となり、本市でも1947年3月末尼崎・小田家政実修女学校と城内・金楽寺・立花の3校、翌年3月には大庄青年学校が廃校の運命となった。

執筆者: 末方鐵郎

参考文献

  • 『尼崎市戦後教育史』 1974
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