額田
ぬかた
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
小田地区の大字。市域東部、藻川の西岸に位置している。古墳時代後期の額田窯跡がある。地名が古代氏族の額田部氏と関連があるかどうか不明。『摂津志』によれば中世には椋橋西荘の荘域であった。史料上の初見は1594年(文禄3)「善法寺村検地帳」(太田善夫氏文書)で「ぬかた」とある。近世には村の大部分が1601(慶長6)旗本柘植氏(正俊系)知行所、小部は近世初期には幕府領、1617年(元和3)尼崎藩領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」には記載がなく、「元禄郷帳」「天保郷帳」に147石とある。西明寺井組に属した。氏神は白井神社(近世には白井天王社)で、1915年(大正4)神崎の須佐男神社に合祀され1948年(昭和23)旧地に戻った。
1889年(明治22)以降は小田村、1936年(昭和11)以降は尼崎市の大字となった。1981年の住居表示で額田町となったほか、一部が高田町・神崎町・弥生ヶ丘町となった。